心温まる家族の感動エピソード投稿キャンペーン
投稿キャンペーン
みなさんからの投稿

治れ治れー!

ちゃんもも さん

私には7つ下の弟がいます。幼い頃の弟は身体が弱くて体調を崩すことが多く、その度に私が塗る風邪薬を「治れ治れー!」って弟に塗っていました。その数ヶ月後、私が怪我をしてしまい消毒液をつけて「治れ治れー!」と言ってたら、それを思い出したのか弟に塗った風邪薬を持ってきて、覚えてくれてることと弟の小さな優しさにとてもほっこりしました◎

父の賭け事

恋園かーこ さん

子供の頃、茶の間でタバコの煙をくゆらす父の姿が印象的だった。
高校を卒業して、海外留学をしていた私の元に届いた父からの手紙。
そこには「あなたの身の安全の為に、神様と賭けをすることにしました。父さんはタバコを断ちます。」と書いてあり、それ以来パッタリと大好きだったタバコをやめ、一本も手にしていない。
神様と勝負した賭け事は愛情の深さで父の圧勝だった。

茶色いおべんとう

しののめ さん

まだ主人と結婚する前、私の父と祖母が同時に入院した。私は毎日仕事帰りに、2つの病院に通った。帰りはいつも20時過ぎ。真っ暗な我が家にいつも疲れ切って帰った。
そんなある日、主人が我が家にお弁当を届けてくれた。
ちゃんと食べているか心配した主人の母が、持たせてくれたものだった。
すぐにお礼の電話をしたら、残り物詰めただけのお弁当じゃけど食べて、と。
私は愛情たっぷりの不恰好な茶色いお弁当を、有り難く泣きながら食べた。
母を早くに亡くした私は、誰かが作ってくれたお弁当を食べるのは久しぶりだった。
あの時の味は一生忘れない。
お義母さん、いつまでも長生きして下さい。

血は繋がっていないけど…

クロネコ さん

私が中学校卒業と同時に両親が離婚。それから約10年後に母は大学時代の同級生が働くクリニックの医院長と再婚することになります。はじめは再婚相手からの虐待などの問題が取りざたされている中で、再婚に反対だった私は、弟から『お母さんが、残りの人生一人ぼっちで暮らすより誰かと一緒に生活した方がええやん。』と、結局賛成に転じましたが、今では5人の孫の世話に追われ、とても可愛がってくれている義父です。

大好きなお父さん

ちはる さん

大好きなお父さんとは20年しかこの世で親子でいれなかったね。
お父さんが亡くなって早18年になりますね。
お父さんが38の時に産まれた私の年齢は今38です。
お父さんにも私の息子達、抱っこしてほしかったなぁ
1度だけ、お父さんと一緒に孫の世話がしてみたかったと涙目だったお母さんの顔が忘れられません。
お父さんにもお母さんにも怒られたことない私は、本当に2人が大好きです!
小さい頃にしてくれた居心地良かったお父さんの腕枕…今たまに息子にするけど、けっこう痛いね笑
親になって親のありがたみや、愛情がわかった気がしますが、まだまだお父さんに会いたくなり涙が出るから、まだ私は強い母になれてません。
これからも天国で見守っていてくださいね!

解ってあげられずごめんね

アズキナ さん

離婚し23年経ったある日43歳になったひとり息子(高2と中3の子供有り)に余命数ヶ月の父親から連絡があり私に内緒で家族4人で入院先で会っていました。
父親は20年前に再婚し18歳になる息子さんがおり転勤で地方を回り地元に戻っていたようです。
息子家族と会った数ヶ月後、元夫は65歳で亡くなりました。
息子が喪主をつとめる事を知らず葬儀に参列した私に息子は「何しに来たー」と怒鳴りつけ「オヤジとの約束を守れなかった」と泣くのです。
借金を作り息子に残すと約束した家も知らない間に売り払らわれ母一人子一人で過ごした23年間が…脆くも崩れた瞬間でした。

あれから6年経ち偶然地下鉄駅で会った息子に「大変だったね」と声をかけると黙ってうなずいていました。
解ってあげられずごめんね。

娘が

東予稲村 さん

平成九年十一月十日、妻はダンプと接触して脳挫傷、頭骸骨骨折の大事故にあった。危篤状態に陥った為に私は自分を失ってしまった。その時、小学校五年生の娘が私の代わりをしてくれた。医者の説明も看護師の指図にも耳を傾けていたが、私はその時の記憶はなかった。一週間の意識不明が続いたが、私は何をしてれよいのか自分を忘れていた。食事の用意も娘がしてくれた。そして、妻が意識を回復して、横に娘がいたことに気が付いたほどだった。
今もあの時の冷静な娘に感謝している。

お迎え

しずく さん

私が3歳の時の話です
保育園でお迎えを待っていて
皆お迎えが来るなか待っても待っても両親が来ず、
最後の一人になったときもしかしたら誰も来てくれないかもと不安になりました。必死で涙をこらえながら先生と一緒に待ちました。
1時間後、遠くに見えたのは慌ててお迎えにきた父の姿でした。
その瞬間安心で号泣し、父の背中に飛び乗りました。
おっちょこちょいな母がお迎えを忘れていたらしいのですが今では笑い話です。その日は私が泣いていたように、パラパラ小雨が降っていました。

最高のお兄ちゃん

笑顔日和 さん

私のお兄ちゃんは性同一性障害である私をいつも守ってくれました。
「お前は何にも悪いことしていない。いじめも俺が守ったる」といつもクラスに見に来たり、守ってくれました。そんな兄が私は大好きです。

鰹三枚おろし

のぶたろう さん

二十歳で結婚が決まり父は57才でした。酒癖が悪くあまり話さなかった父ですが60才で他界し今1番あいたい存在です。何故か追い求めている気がします。あれこれ25年経ちますが、夏休みに船に乗り鰹の1本釣りに出かけた日を思い出します。船酔いでしたが、魚を三枚おろし位出来なあかんと怒られ、鰹で練習、あの日は忘れられません。結婚反対してた父が二十歳で嫁に出してくれた父の日に感謝してます。

私が表彰したい人

misa さん

私の母は、なんでもお祝いしてくれる。ささいなことや、大学時代に1ヶ月間の宿泊実習にいった時も。毎日連絡を取り合って、頑張ってるよ!今日こんな嫌なことがあったよ。と話を聞いてくれる。そして1ヶ月ぶりに自宅へ帰ると、ケーキが用意されていた。周りから見ると、過保護だと思われるかもしれないが、昔から、母は私たち子供のことを褒めてくれる。
運動会のかけっこで1番になった時。リレーの選手に選ばれた時。夏休みの工作が入賞した時。合唱コンクールで中央のポジションに振り分けられた時。持久走で目標の順位以内だった時。参観日で、自分から手を上げて発表できた時。
そんな小さなことでも表彰してくれる人。
だから、数年後、母が定年を迎える時は、22年間の出来事を一つ一つ思い返し、私がめいいっぱい母を表彰したい。

「形見」

たけちゃん さん

祖母が他界して5年。
祖母の形見の物は無く、全て処分されてしまった。
ただ1つを残して。
俺の右手。
幼い頃、熱湯をかぶって右手に大火傷を負った時、入院中ずっと側にいてくれた祖母。
祖母のおかげで俺の右手、今は人の役に立てるようになりました。
ありがとう、ばあちゃん。

投稿いただいたエピソードは、諸事情により本ページ掲載できないものもございます。ご了承ください。